渦巻く知識

第八部


私は櫂を両手に持って、船を漕ぎ進めた。多くの船とすれ違った。その中には厳つい顔をして、いかにも「話しかけるな」と言わんばかりの漕ぎ手もいたし、飄々としていてやあやあと小煩く話しかけてくる者もいた。心躍るようなリズムに乗せて話しかけるな者もいて、それらは操舵者の他にも歌い手が船員がいるようだった。船員たちが話しかけてきた。
「あなたはどこから来たの?どこに行くの?」
私はその言葉に幾ばくかの喜びと、嫉妬の念を覚えながらこう答える。
「私は私の岸辺を出ました。どこに向かうかは知りません。けれども私が辿り着く時、私はきっと自分の価値を知ることが出来るはずです。」
歌い手たちは華やかなリズムに乗せて、私を魅了した。
「価値だなんて、あなたの価値なんてものは誰が決めるのかしらね?」
歌い手たちは煌びやかな笑顔でそう問うた。
私の価値とは何なのだろうか。
私はいずれどこかの岸辺に辿り着くだろう。その時きっと、その岸辺にいる誰かが私の価値を認めてくれると考えていた。だがもしも彼が、私の価値を認めなかったら?私が間違いなく認められるという確信はない。
突然に私は恐怖に駆られた。この船が、辿り着いた時にそこがもしも私の居場所ではなかったら?私は何のために航海をしているのであろうか。私の価値とはなんなのか。
本当に私は今この船を漕ぎ進める必要があるのだろうか。打ち寄せる波よりも激しい不安と、吹き荒ぶ潮風よりも凄まじい恐怖が私を襲った。私は櫂を持つ手を離し、両手で顔を覆って慟哭した。私の心は今恐怖に支配された。救いはない。この海原で私の船は頓挫したのだ。もう進むことはできない。いや、進んだとてどこに向かうのか。そもそも向かうべき岸辺は本当にあるのか。長い航海の先に、救いはあるのか。
縷々と滴る涙に溺れ、私の船は再び沈没の時を迎えた。船はバラバラと上から崩れていった。もう波間に辛うじて浮かんでいる一枚の板のようである。
私の心とはうらはらに、空の雲は裂けて陽光が祝福を与えるように輝いている。全てを灼くような光とともに、空から黒い羽が舞い降りてきた。私はそれを見てふと天を仰いだ。
上空には翼を広げた天使が見えた。黒い翼を携えて、黒衣を纏ったその姿はさながら悪魔のようでもあった。光を放たんばかりに白い肌が私の目を捉えた。この天使は私に救いをもたらしてくれるのだろうか。それとも死出の旅へと誘うのだろうか。
そう考えながら、私は力なく天を仰いだ。